INTRODUCTION

格好良いとはこういうことだ
ヒーロー不在の現代に、いま、シェーン、カムバック!

 1953年、その後の映画史を塗り替える 1本の傑作が誕生した。
南北戦争後の西部。厳しい大自然と、横暴な牧場主との軋轢に苦しむ開拓民一家のもとに現れた一人の流れ者。 柔らかな物腰の中に時折暗い影を見せる、シェーンと名乗るその男は、やがて、開拓者たちと友情で結ばれてゆく。 しかし、牧場主の暴力が激しくなってゆくなか、再び銃を手に最後の闘いに挑む…。

西部劇でありながら、抑制の効いたガンアクションと共に、時代に取り残されつつある男の矜持や、開拓民一家との心の交流を描き、公開時には”新たな西部劇”と呼ばれた本作は、その後クリント・イーストウッド、山田洋次ら世界中の名匠に多大なる影響を与えることとなり、そのヒーロー像は数多くの映画の原型となっていった。 そして遂に、『シェーン』が、アカデミー賞撮影賞を受賞した雄大なワイオミングの大自然と、切なく鳴り響くテーマ曲”遥かなる山の呼び声”と共に大スクリーンにデジタルリマスターで蘇る! 価値観が多様化する時代を迎え、ヒーロー不在が叫ばれる中、時代を超えた普遍的なカッコ良さを体現するシェーンが、いま、どの様に世に問われるのか?ぜひ見届けてほしい!

STORY

西部開拓時代の終焉に芽生えた、かすかな慕情。ひとときの安らぎの中、時代に取り残された男の決断とは?

南北戦争後の西部。厳しい大自然と、土着の悪徳牧場主ライカー(エミール・メイヤー)との諍いに苦しむ開拓民のリーダー、ジョー(ヴァン・へフリン)の一家のもとに現れた一人の流れ者。拳銃を身につけ、柔らかな物腰ながら隙の無い、シェーンと名乗るその男を当初は警戒していたジョーと、その妻マリアン(ジーン・アーサー)だったが、ライカー一味の嫌がらせにあっていたジョーにシェーンが加勢をしたことから、彼らの家に留まることになった。

一家の一人息子ジョーイ(ブランドン・デ・ワイルド)は、西部の男らしく銃を傍らに堂々と振舞うシェーンに、出会った時から憧れを抱いていた。その姿に秘かに心惹かれていくマリアン。そしてジョーも、共に働くことでシェーンとの友情の芽生えを感じていた。

銃を置き、一家と共に暮らすことになったシェーンは、ジョーの仲間の開拓民たちにも受け入れられ、 友情を結んでいく。ライカー一味の嫌がらせに対しても一歩も引かないシェーンが加わって意気上がる開拓民たちだったが、開拓以前からの利権を譲れないライカーは、西部に悪名が轟く殺し屋ウィルソン(ウォルター・ジャック・パランス)を雇い、彼らの仲間の一人を見せしめに葬り去る。

この一件により開拓民グループの結束が揺らぎ、頭を悩ますジョーのもとに、ライカーから最後の話し合いの誘いが届く。しかし、罠を察知したシェーンは、ジョーを力づくで制止して、再び銃を取り、ライカー一味が待ちかまえる最後の闘いに臨む!

TRAILER

CAST

アラン・ラッド(シェーン)

シェーン

1913年アーカンソー州。ユニヴァーサルのスタジオ内の演劇学校を経て1939年に俳優デビュー。1943年の『拳銃貸します』で、端正な顔立ちと身のこなしが注目を集めて、『別働隊』(50)『烙印』(50)、『対決』(51)等に立て続けに主演を重ね、1953年に大ヒットとなった『シェーン』が後世に残る代表作となった。その後、『大荒原』(57)『誇り高き反逆者』(58)等に出演。1964年に『大いなる野望』を遺作として、この世を去った。息子のアラン・ラッド・Jrは後にプロデューサーからFOX、UA、MGMなどメジャースタジオの社長を歴任した。

ジーン・アーサー(マリアン)

マリアン

1908年ニューヨーク。モデルを経て舞台女優となり、1923年『侠骨カービー』で映画デビュー。その後、『野球王』(28)など数々の作品に出演するが、1931年にニューヨークで舞台女優に戻る。再びハリウッドに戻り、『オペラハット』(36)『スミス都へ行く』(39)等、ゲイリー・クーパーやジェームズ・スチュワートら人気スターとコンビを組んで数々の話題作に出演して大スターとなった。1950年代に入り活躍の場をブロードウェイの舞台に移していたが、1953年に『シェーン』で5年ぶりに映画復帰を果たし、1991年にこの世を去った。

ヴァン・ヘフリン(ジョー)

ジョー

1910年オクラホマ州。大学卒業後、船員となったがやがて俳優を志し、イェール大学演劇科に入学。 舞台を経て、1936年『女性の反逆』で映画デビューを果たす。1942年に『ジョニー・イーガー』(未)でアカデミー賞助演男優賞を受賞。以降、名脇役として多くの作品に出演を重ね、1971年、心臓発作で急死した。代表作に『ボヴァリー夫人』(49)『テンペスト』(59)『大空港』(70)等がある。

ブランドン・デ・ワイルド(ジョーイ)

ジョーイ

1942年ニューヨーク。11歳で初めて出演した『シェーン』の好演で、アカデミー賞助演男優賞にノミネートされる。その後、17歳で主演を務めた『ゆきすぎた遊び』(59)や、ポール・ニューマンと共演した『ハッド』(62)、ジョン・ウェイン、カーク・ダグラスらスターが出演した『危険な道』(65)等、順調なキャリアを歩むが、1972年、わずか30歳で生涯を閉じた。

ウォルター・ジャック・パランス(ウィルソン)

ウィルソン

1920年ペンシルバニア州。大学中退後、炭坑夫やコック、プロボクサーなど様々な仕事に就く。 第二次大戦中に空軍に入隊、搭乗した爆撃機の火災で顔を負傷し整形手術を受ける。 戦後、大学に入学して演劇を学び、舞台での活躍を経て、1950年『暗黒の恐怖』で映画デビューを果たし、1952年『突然の恐怖』、翌年の『シェーン』でアカデミー賞助演男優賞にノミネートされる。 以降は『軽蔑』(63)『プロフェッショナル』(66)等ゴダール監督作品からアクション映画まで幅広く活躍を続け、1991年には、『シティ・スリッカーズ』でアカデミー助演賞を受賞して、2006年に永眠した。その他の出演作に『バグダッド・カフェ』(87)『ヤングガン』(88)『バットマン』(89)等。

STAFF

ジョージ・スティーヴンス : 製作・監督

1904年カリフォルニア州。舞台人の両親のもとに生まれ、5歳のときから舞台に立ち、その後、カメラマンとして映画界に入る。1930年以降は監督業に進出して、『有頂天時代』(36)『ガンガ・ディン』(39)等の娯楽作品を中心に活躍したが、第二次世界大戦に従軍した経験から、戦後は、寡作ながら作家性の高い作品を世に送り出し、ウィリアム・ワイラーやビリー・ワイルダーと並ぶアメリカ映画史を築いた巨匠となり、1975年に生涯を閉じた。 主な作品に『陽のあたる場所』(51)『ジャイアンツ』(56)『偉大な生涯の物語』(65)『この愛にすべてを』(70)等。